太平洋にそそぐ北上川に面した北上地域の地形は東西に細長く、海に面した集落もあれば、山に囲まれた集落もあります。
町内に10以上もある集落(※1)は自然環境に即した生業や生活が営まれ、それぞれの文化や習慣を形成しました。
また、集落には「契約講」が存在し、祭祀・冠婚葬祭・地域資源の管理など、
集落の共同生活全般にかかわる規約を有していました。
契約講は、東北地方に分布する村落内の生活互助・再生産組織の一つで、
現在は経済や社会構造の変化に伴い、契約講から自治会へと変容しつつありますが、
その存在は大きく、北上地域を語る上で欠かせないものです。
ここでは、各集落の特色や地域に残る祭りや慣習などをご紹介します。
(※1)行政区単位で19地区(2019年度時点)
夜空に舞う「悪鬼と日本武尊」
『古事記』や『日本書紀』の神話を表現し、舞番数が24番あり、かつて舞うのに3日3晩を要したといわれていましたが、現在では神社例祭日の昼夜を通して12番が舞われているとのこと。
明治以前には宮司が「羽黒派系」として舞ってきたものですが、明治時代末期には旧志津川町の菅原氏から、さらに昭和初期には旧北上町の岸浪氏や佐藤氏により伝授されました。法印神楽の最後の舞い「日本武尊」は、舞台の天に吊り上げられた十文字に表れた悪鬼と戦い、悪鬼を退治し無事平穏を取り戻す舞いで、「夜空に舞う」神楽は見事です。保存会では地域の子どもたちを対象に神楽教室を開催し、後継者の育成にも努めています。
(出典:宮城県の文化財より)
三陸沿岸部では希少神楽
南部神楽は、岩手県の早池峰山を巡る修験者たちによって継承されてきた山伏神楽を元に伝承されてきました。この修験団の山伏神楽は、長く一般の者の関与を禁じてきました。明治維新後、修験制度廃絶により修験団は崩壊、禁も解かれて演じる人は農民に移行し、急速に一般化していきました。その中で神話・伝説などを独自に脚色し付け加えていったのが南部神楽であるといわれています。囃子のさばきの派手さや衣装などに明るい色を用いるなど、農民が関わることで娯楽性のある神楽になりました。